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なう ろうでんぐ

レトロゲーム界の暴れん坊天狗

真説 ドンキーコング(1)

真説
「ねぇ、ドンキーの事なんだけど。ちゃんと考えてくれてるわよね?」
 ドレッサーに座ったレディが鏡越しにそう言った。
 こんな大雨の日にもよく通る彼女の声には、ピアスが上手く通らない以外の怒気も含まれている。
 考えるも何も答えは決まっている。しかしその答えは決してレディが納得するものではなく、僕の本心は何者かに握りつぶされ、誰の心とも知れぬ言葉がスラスラと口から流れ出た。
「ああ、当たり前じゃないか。ちゃんと考えているよ」
 いつからだろう。僕が本当の事を言えなくなってしまったのは。
 
 傍らに座っていたドンキーが、僕の言葉を聞いてこちらへ視線を向ける。その視線に耐えられなくなった僕は、Mと書かれた赤い帽子を目深にかぶり直してやり過ごした。
 そういえばドンキーと出会ったあの日も、こんな大雨で憂鬱な日だった――。
 
 
 
「ちょっと待ってください。あまりに一方的じゃないですか!」
 
 工事現場の横に設置された事務所、と呼ぶには程遠いプレハブ小屋にこだました僕の声は、すぐさまどこかに吸い込まれ、事務所の屋根を叩く雨音に上書きされた。
その雨音と同じ様なリズムで所長が声を発する。
「すまないマリオくん。これは議論ではない。決定事項の通達だ。」
 行きどころのない感情とは裏腹に、僕はこの感情を表現する言葉を知らず、アワワワワワという情けない声を出してその場にへたり込むしかなかった。
「以上だ。さあ、行ってくれ」
 僕の言葉を待たずして所長はデスクへと向き返る。向き返りざまに「ドンキー」と小声で言ったのを僕は聞き逃さなかった。
 ドンキーとはそのまま言えばロバという意味だが、イギリス系の所長にとっては、のろま、まぬけ、という意味を持っている事ぐらい僕は知っている。
 
 事務所の扉を開けるとさらに雨足は強まっていた。
 泥と化した地面にゆっくりと両足を差し出す。履き潰された安全靴は既にその機能を失っており、気を抜くと転倒してしまいそうな程に足元はおぼつかない。
強い雨は容赦なく赤い帽子を打ちつける。僕はゆっくりと泥の中に沈んでいく様な錯覚にとらわれた。
 
 所長からは賃下げを通達された。これまでの月給10コインでもままならなかった生活を8コインでどう保っていけと言うのだろうか。いつか月給が上がることを信じ働いてきた5年間は水泡と化した。
 変わりはいくらでも居る、と所長は言った。脅しではない、言葉そのままだろう。
 イタリア系移民の僕にとっては、この"配管工"と言う仕事にありつけただけで奇跡だった。ただその奇跡と引き換えに、僕は考えられないほどの低賃金で雇われている。
 
 さて、どうしたものだろう。今後、給料が上がる望みは絶たれた。転職するとしても転がっているのはさらに低賃金の仕事だけ。商売を始めるにも資金がない。あとはマフィアにでもなるぐらいか。まるで出口の無い土管の様だ。
 つまるところ所長はこう言ったのだ、このまま地を這い回って死ね、と。
 あぁ、どこかに叩くとコインが出てくる箱でもあればいいのに。
 
 そんな諦めとも悟りとも言えそうな妄想に辿り着いたとき、工事現場が騒がしくなっているのに気づいた。
 現場と言っても基礎工事の段階なので建物らしいものはまだ何も無い。しかし数年後にはここにこの街で一番の高さとなるビルが建つそうだ。
 仲間の職人たちのざわめきと共に小動物の様なキーキーとした叫び声が聞こえてくる。僕はその悲しみとも苦しみともつかぬ叫び声に引き寄せられ現場へと向かった。
 
 叫び声を囲む職人たちは困り声を上げていた。
「おいおい冗談じゃねぇよ捨てゴリラじゃねぇか」
 職人たちの間から覗き込むと樽の中から顔を出し叫び続けているゴリラが見えた。背丈は人間で言えば5歳ほど、まだ子供だろう。
 捨てゴリラは決して珍しいものではない。この地域は未だサーカスの人気が高く、多くのサーカス団が存在する。しかし、中には質の悪いサーカスもあり、芸の飲み込みの悪い動物は、エサ代が嵩まない若いうちに捨てられる事もままあるのだ。
 つまりこのゴリラもそういう事らしい。
 
 そうこうしている内に保健所と名乗る人間達がやってきた。誰かが早々に連絡を入れていた様だ。捨てられていた時間や状況を形式的に聞くとリーダーらしき男は雨音と同じリズムで言った。
「では回収します」
 
 彼らは慣れた手つきで準備をはじめる。
「何ミリにしますか?」
 簡易的な銃らしきものを組み立てながら若手と見られる男がリーダーに問いかける。恐らく麻酔銃なのだろう。
「背中を向けろ」
 リーダーの指示に従い若手の男はゴリラの背中が見える様に樽を回す。するといままで見えなかった樽の面に何やら赤いペンキで文字が書き殴られている。
 
 ――Donkey Kong
 
 その文字を見た瞬間、僕の頭には知りもしないこのゴリラの人生が流れ込んできた。
 
 両親の愛を受けられたのは生を受けてほんの数ヶ月。サーカスに売られてからは過酷な芸の訓練とわずかばかりの食事を繰り返すだけの日々。
 芸を覚える努力はしている、しかしなかなか覚えられない、慢性的な空腹で集中力も続かない。そしてトレーナーから繰り返し投げつけられる「ドンキー」の言葉。結局覚えられたのは樽を投げる芸だけだった。
 そしてその挙句、もう見込みがないと判断され、どことも知れぬ工事現場に放置されてしまった。もちろん野生で生きていく術など何も知らない。つまりはこのまま死ねということなのだ。
 
「射撃用意!」
 ここまで淡々と話していたリーダーが上げた一際大きな声により、僕は現実に引き戻された。
 彼の持つ麻酔銃はまっすぐにゴリラの背中を指している。トリガーにかかる指には徐々に力が入っていく。ゴリラに銃は見えていないものの尋常ではない気配を感じたのか、さらに高い叫び声をあげはじめた。
 
 「イヤッフー!」
 気づくと僕は職人たちの間をかきわけ、ゴリラを覆い被さるように飛びついていた。
 ゴリラの叫び声、バスンという鈍く乾いた音、樽がバラバラに壊れる音。
 背中に鋭い痛みを感じながらも僕は叫び続けた。
「殺すな!僕だ、僕なんだ。僕が引き取る、僕が引き取るから、殺さないでくれ!」
 
 最初は出ていた声も徐々に小さくなっていき、遂には口から空気が漏れるだけになった。
 背中の痛みも段々と僕の知覚から離れていく。しかしなぜか、胸元に感じる鼓動と暖かさだけははっきりと感じられていた。
 職人達のざわめきと、いつしかキューンという悲しみを帯びた音に変わっていたゴリラの声を聞きながら、僕は意識を失った。