【ゲームセンターの記憶】TOKYO-BAYららぽーと プレイランドタイガー(1)
思い出のゲームセンター、と聞いてみなさんはどこを思い浮かべるだろうか?
女性はどこも浮かばない人も多いのかもしれないが、男性は子供の頃に行ったどこかしらのゲームセンターが思い浮かぶのではないだろうか。
当の私はというと、千葉県船橋市のTOKYO-BAYららぽーと(名称は当時)にあった「プレイタウンタイガー」が真っ先に浮かぶ。
TOKYO-BAYららぽーとは開業当初の1981年ではまだ日本には少なかった巨大ショッピングセンターの先駆けとも言える存在で、その中のワンコーナーとして「プレイタウンタイガー」は存在した。
私がよく行ったのは1985年~1998年あたりであろうか。当時の私にとって「タイガー」はまさに夢の国であり、その広いスペースにところ狭しと並べられた様々なゲーム機たちにはいつもどれをプレイすべきか迷わされた。今思うと新機種の導入にも非常に積極的な店舗で、私はタイガーのおかげで最先端のゲーム機たちにリアルタイムで触れ続ける事ができたのだった。
そんなタイガーだが、恐らく2000年~2005年あたり、ららぽーと自体のリニューアルの中でいつのまにか消えてしまっていた。
ふと懐かしくなり写真か何かが無いかウェブを探していたのだが思いのほか何にも見つからない。こんなゲーム置いてあったなー、ぐらいの情報でも良いのだがそれすら無い。何という悲しいことだろうか。
そこでだ。私が愛した「プレイタウンタイガー」の記憶を何回かに分けてここに残していきたいと思う。こんなローカルなゲームセンターの話にどれだけの需要があるかわからないが、どれだけの需要があるかわからないものの集合体がインターネットである。
これから書いていく内容が、私と同じように、ふとタイガーを懐かしく思い検索した人の記憶を呼び覚ます助けになれば幸いである。
ただしいかんせん2,30年前の話なので全体的にうろ覚えの記憶で書かざるをえない。なので、タイガーの記憶のある方が読んで、「その記憶は違うぞ」とか、「たぶんそれはそごうの屋上の話では」とか、「ぴょんぴょんでボテチンがすごい勢いで追い込んで来たときの感じ最高だよね」とか、「これもタイガーに置いてあったかも」などあれば是非コメントなどからご指摘をいただきたい。
全体図
さあまずは全体図だ。タイガーは大別して4つのゾーンに分かれていた。記憶をたぐりよせて書いたが、一応このゾーン分けについては確かだと思う。
各ゾーンの概要は以下の通りである。
1.ボウリング
いきなりボウリングとは何だよと思うかもしれない。でもボウリングなんだからしょうがない。今回の記事ではここに置かれていたゲーム機の記憶を書いていく。
2.体感ゲーム
ゾーン名は体感ゲームとしたが、80年代は100円を入れて2,3分動くライド型のマシンもいくつか置いてあった様に思う。90年代にはライドはやや減り、レース系のゲームやガンアクションなどの体感ゲームに押されていったと記憶している。
3.メダルゲーム
タイガーはメダルゲームが充実していた、競馬だけでも2,3台あったりビデオスロットやルーレット系の台も多く存在していた。後の記事で詳しく思い出していきたい。
4.ビデオゲーム
80,90年代はビデオゲームがメインのゲームセンターが多かったと思うがタイガーではむしろ端に追いやられている様な印象であった。ショッピングモール内のゲームセンターであり家族連れが多かったため、比較的1人で完結する様なビデオゲームには力を入れていなかったのかもしれない。
ボウリングゾーン(-1990)
さて今回はこのボウリングゾーンに置かれていた台を3つの年代で書いていこうと思う。
まずは1990年ごろまでのこのゾーン、タイガーに入ってすぐ左手にはパーフェクトボウルが2台並んでいた。たぶん2台だが3台の可能性もあるかもしれない。
そしてパーフェクトボウルの左側なのだが何かがあった様な気がしてならない。UFOキャッチャーの前身とも言える三又のアームでカプセルを取るマシンがあった様な無かったような、自信はないので割愛とする。
パーフェクトボウル
最近はめっきり見なくなってしまったが、昔は本物のボウリングを2まわりか3まわりぐらい小さくしたボウリングゲームが多く見られた。90年代以降は液晶にピンを表示する様なボウリングゲームが多く出てきたが、ここにあったパーフェクトボウルは実物のピンを狙うタイプのもの。ただしピンを倒す訳ではない、何を言っているのかわからねーと思うがニコニコ動画にあがっていたのでぜひご覧いただきたい。
どうだろうか、なんとボールが通るとピンが上に消えるという仕組みである。そのためピンの跳ね返りなんてものは一切無い。スプリットができたらおしまいである。
ボウリングゾーン(1990-199?)
ボウリングゾーンはある日、急な世代交代が発生した、と思う。ボウリングと入れ替わりでコズモギャングズが2台入った様な記憶がある。というかコズモギャングズに変わったのならもうボウリングゾーンじゃないじゃねぇかって話なんですがそれは置いておいてください。そして急に登場する功夫老師にも注目だ!
コズモギャングズ
コズモギャングズは素晴らしい動画があったのでこちらをどうぞ。
超名作と言って良いでしょう。このクオリティで1990年ですよ!信じられますか!?まだまだ普通のモグラたたきも幅を利かせている時代に投入されたこのゲーム。コズモ(宇宙人)たちのポップな造形、光線で倒すというハイテク感、そして「アレー」の声、極めつけのマケマケダンス。どこをとっても完璧なデザインと言って良いと思います。
功夫老師
そしてコズモギャングズをプレイしていると横から聞こえてくるこの声。
「ほれそこのあんた!そこのあんたじゃよ!ちょっと試していかんかね?」
このゲームをご存じの方は脳内再生されたのではないだろうか。
おしゃべりオームの「おーはよ、おーはよ、こんにちは、こんにちは!」と並ぶデモ中にうるさいゲーム機のツートップだと私は思う。
正直ゲーム性としては何でもない。右!前!後ろ!の声に従い対応するボタンを押すだけのゲームである。
ボウリングゾーン(199?-2000)
そして最終期のこのコーナー、だんだんとタイガーにいかなくなってきた時期でうろおぼえ中のうろ覚えだが、奥行きのあったこのコーナーにフタをする様にイライラ棒が置いてあった様な記憶がある。ただイライラ棒に変わる前にバスケットボールを投げるゲームが入ってた時期がある様な気がするんですが、せっかくゲームやりに来てるのにバスケやるとか狂気の沙汰だよね!と少年時代に思っていたので無かった事としておきます。
電流イライラ棒
イライラ棒自体はもともとテレ朝で放送されていた「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー」に登場したアトラクションの1つで、、、見れば早いと思います。
で、これのアーケード版がこちらです。これは3バージョンあるうちのFINALの様ですがタイガーにあったバージョンがどれなのかは全く記憶無しです。
【vol.12 大地チャレンジ】ゲーセンで 電撃イライラ棒 FAINALに挑戦
東京とTOKYO-BAYは違う
色々と書いてきたがすべて私のおぼろげな記憶によるものなので「それは違う!」と思った真のプレイタウンタイガー有識者がいらっしゃいましたら是非ご指摘いただきたい。次回は体感ゲームの入り口近くのゾーンについての記憶を記していこうと思う。
そして序盤に書いた「TOKYO-BAYららぽーと(名称は当時)」について補足するが、現在の名称は「ららぽーとTOKYO-BAY」である。この点、皆さんにはくれぐれも間違えない様に気をつけてほしい。
また、千葉県の施設なのにTOKYOが名称についている事を嘲笑する輩がいるかもしれないがそれは大きな間違いである。ららぽーとは東京湾に面しているのだ、TOKYO-BAY(東京湾)ららぽーとで何が悪いというのか!東京ディズニーランドや東京ドイツ村の様に恥ずかしげもなく東京を自称している彼らとは一緒にしないでほしい。
ゲームと何も関係なくなってしまった。
また次回。